レースに出ている。なぜかマンハッタンの空中、曲がりくねった道を走っている。矢印が出て、次は壁の穴に潜れという指示だ。こんなのおかしい、別の道のはずだ!と思いコースを外れる。審判員が「失格です」という。「ですよね」と言ってガーミンを止めた。
これは今週見た「夢」の内容だ。実に後味の悪い寝起きとなった。横浜国際トライアスロンのレースを翌週末に控えているのと、ついこの前「スーパーマリオブラザーズ・ザ・ムービー」を観た影響によりこうなっている。
だが問題はそこではない。最近、睡眠の質がとても悪い。それなりの時間を確保しているのに、中途覚醒したり、妙な夢を見て目が覚めたりで、起きた後も全身がぐったりと疲れている。もともと睡眠時無呼吸症候群を患っていて、CPAP治療をしている。寝つきが悪いのでいわゆる「眠剤」も服用している。その状態で、この3月までは順調に睡眠でき、朝はスッキリと目覚めて問題なかったのだ。
つまりこの「睡眠の質の低下」の原因はハッキリしている。「ストレス」である。
さて、このブログを始めて毎週更新することを目指していたが、ついに先週、更新を途絶えさせてしまった。なぜだろうか。それはこの間に読んだ本からの学びを、自分の中にインストールするに至らなかったからである。読んだ本は2冊で、マシュー・ウォーカー「睡眠こそ最強の解決策である」と、四角大輔さんの「超ミニマル主義」である。
どちらも、書いてあることはシンプルだ。人類が、進化の過程で「睡眠」を手放さなかったのは、それこそが人を人たらしめる知識と創造力の源泉だからだ。だから睡眠を削って働くなどナンセンスというほかなく、生活そのものを、十分な時間、良質な睡眠を得るために設計し直す必要がある。そして、働くこと、生きることをより幸せにし、充実させるためには、聖域を作ることなく、無駄なものを徹底的に削ぎ落として、本当に必要なものに全てのリソースを投入するように自分の在り方を変えていく必要がある。そういうことだ。
先週の時点で文字にできなかった理由はこうだ。4月から1か月間の自分の生活は、上記の在り方とは全く逆だった。訳の分からないしきたりがある。誰もそれを打ち壊そうとしない。そういうものだと諦める。その訳の分からないもののために意味のない作業をする。意味のあること、自分がしたいと思うことをする時間がなくなる。午後5時を過ぎても残らなくてはならなくなる。充実感を持てないまま、前に進んでいるという感覚を掴めないまま帰る。責任の重さが背中にのしかかってくる。時間に追われている。明日は早く起きて早く出社し、作業のための時間を確保しようか。しかし、起きられない。起きても疲労感が抜けていない。体が重い。レース間近なのに練習の時間も確保できない。胃が痛い。この状態のまま、ゴールデンウィークに突入した。さあ、君にとって「睡眠こそ最強の解決策である」。
無理というものだ。睡眠が大切だなんて痛いほどわかっている。記憶力も高まる、健康にもなる、創造力が磨かれる。それはそうなんでしょうね。でもこっちは新しい環境と自分の精神とが不協和音を起こして、脳の中で真夜中もゴチャゴチャごちゃごちゃやっている。いくら午後9時にベッドに入って午前7時に起きることとしても音が止むことがないのだ。
というわけで、こんな状態では到底本から学びを得たとはいえなかったので、先週は何も書けなかった。
そして連休後半を迎えた。休日出勤はしないことにした。自分自身をアップデートするためだ。
ミニマリストになるわけではない。でも、自分も、四角大輔さんが教えてくれたように、スケジュールとタスクを軽量化し、思考と習慣を軽量化すると決めた。ただ漫然と作業をするのは止める。本当にやるべきことは最大限集中力を研ぎ澄ませて終わらせる。意味の無いことはしない。やると決めたことは心血を注いでやり切る。無駄な残業はしない。ベッドに入る前にストレスから脳を解放する。そして、「最強の解決策」であるところの睡眠を死守する。もう、そうすることに決めた。
月曜日から現実が待っている。「機能不全を起こしている職場の常識」を、すぐに捨て去ることなどできないだろう。でも、自分は、納得できないことをするためにここに来たのではないはずだ。自由に楽しく、価値ある仕事をする。周りもその楽しさに巻き込んでいく。今日もいい仕事ができたと実感しながら眠りにつき、ワクワクするような朝を迎える。きっとできるはずだ。
週末のレースに向けて、バイクメンテしてきました。サーヴェロさん今回も頼りにしてる!