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カテゴリー: 日々、気づき

こころ

ずっと、書けなかったのは、書かなかったのは、何が正しいのか、学ぶってどういうことなのか、よく分からなくなってしまったからだ。本もそれなりに読んだけど、考えが上滑りしていた。頭にもスッキリ入ってこない。多分、そのときではなかったのだろう。

でも、この夏は大切なことがたくさんあった。

ひとつは、子どもの誕生日を心穏やかに、優しい気持ちで祝えたことだ。子は、親の思うようにはならない。もう、それは十分すぎるぐらい分かっていたけど、それでもずっと心を揺さぶられてきた。自分の覚悟が、愛が、信頼が、本物なのか、ずっと問われていた。親である自分は、何度も見ないふりをした。それでも子どもは、こころを求め続けた。とてもカッコ悪く、周りを振り回していることを自覚しながら、自分はここにいる、見て欲しいと訴え続けた。偶然の巡り合わせで、「かがみの孤城」を読んだ。この子の未来はどうなるか分からない。それでも、つながり、信頼、愛、理解したいという姿勢、そばにいたい気持ち。自分はそれを分けてあげることができる。そうしたいと思った。14歳、おめでとう。好きなものに囲まれながら、自由に心を育てて欲しい。

もうひとつ、4年半ぶりに実家に帰った。実家は商売をしており、自分は三兄弟の長男なのだけど、大学進学を契機に東京に出てきて、それきり一切家業には関わっていない。父と、二人の弟に家のことは押し付けて好きなように生きてきた。その家業も、時代の波でどうやらピンチを迎えているらしい。父は事実上引退し、弟二人が家業の未来をめぐって意見が異なっているようだったので、兄弟三人で酒を飲みながら四時間以上も話し合った。サラリーマンの自分と違って、経営者の弟たちはしぶとく生きようとしていた。気楽な自分の立場からすると、しんどそうに見えた。でも、今さら自分が何の口を挟むこともできない。何を言っても外から、上からの現実を知らない意見にすぎない。それでも、家族として、弟二人が心配なんだ。身体には気をつけて欲しい。言えることはもう、これしかない。でも、遠くから家族を大切に思っている。

SEKAI NO OWARI のライブに行った。セカオワは、この三年くらい、自分と共にいた曲をたくさんくれた。アースチャイルド、サザンカ、周波数、銀河街の悪夢、FIGHT MUSIC、タイムマシン、その他数えきれないくらいの曲が、ずっと自分の心に寄り添ってくれていた。だから、今日までの君はそれで良かったんだよと、認めてもらえた気がした。

インサイド・ヘッドとミニオンズの映画(いずれも続編)を見に行った。インサイド・ヘッドは、最初の作品のとき、自分の転勤で、子どもたちを大好きな場所から引き離してしまった直後に観たから、今でも心が締め付けられる。インサイド・ヘッド2では、登場人物もみんな成長していて、自分たちの家族も成長しているんだ、と気付いた。自分が一番、申し訳ない気持ちを引きずっているのかもしれない。ミニオンズは、ただのお騒がせおバカ映画だけど、我が家にはそのバカしかないのがちょうどいい。無理に感動させたりしてこないのがいい。支離滅裂で目的がないのがいい。辻褄が合ってなかったりするのがいい。ちょっと暗くなりがちな我が家には、そういう面倒くさくないのが時々必要だったりする。

あとは、仲間だ。ストレスで、疲れで、心も身体も押し潰されそうなときは、やっぱりトライアスロンの練習をするのがいい。これも、自分の不調を心配してくれた仲間が声をかけてくれた。ありがたい。

娘の誕生日は母の誕生日と同じ日だ。ちょっとゆったりした、我が家なりの誕生日の祝い方を終えて、これを書いている。何が正しいのか、何を学ぶのが良いのか、何をすればいいのか、分からない。これはスランプだと思える。体調も絶不調といってよい。それでも、つながっている。家族を、友を、大切だという気持ち、あなたのことが心配だという気持ち、もっと複雑で言葉にはうまくできないけど、もしかしたらとてもシンプルなのかもしれない気持ちで、ゆるくつながっている。それで明日の問題がすぐに解決するわけじゃないけど、明日もまあ、やってみようか、というくらいの気持ちにはなるんだ。

14年後の君は、いい感じの14歳。こだわりが強くて頑固で、臆病なところがあるけど、優しくて、誰かの気持ちをよく感じ取ることのできる人。好きなことに一直線。自分の気持ちを伝えるのも、自分の機嫌を取るのも、上手になったね。年下の子の面倒見も良いって聞いてる。とっても大切な、僕の家族だ。

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届けられた封筒と「世界は贈与でできている」

ありがたいことにボーナスをいただいたので、住宅ローンのボーナス払いのために、給与振込口座から住宅ローン引落口座にお金を移動させる必要があった。165円の送金手数料を惜しんだ自分は、銀行のATMで現金**万円を払い戻して、それを封筒に入れ、その封筒をコートの胸ポケットに入れた(はずだった)。そして、100メートルほど離れた別の銀行のATMに到着し、カードを入れて、コートの胸ポケットに手を入れた。

…封筒がない。

後ろにATMの順番待ちをしている人がいたので、急いで「取引中止」を押してカードを回収し、歩いてきた道を走った。白い物が落ちているのを見たが、残念ながら「レジ袋」だった。右下、左下と交互に視線を走らせ、銀行までの道を更に走った。封筒は落ちていない。ATMコーナーに入って周りを見ても、ない。文字どおり青ざめた。つい15分ぐらい前には、PayPay払いで高率のポイントバックがあって得したなー、とか思っていたのだ。今やそれとは比べ物にならないほどの金額を失っている。

警察に電話したら、すぐに近くの交番に届けてくれと言われた。でも自分は交番ではなく走って警察署に行った。今ならその理由が分かる。俺の現金を拾ってそのまま持ち去った奴がいる。捜査してそいつを捕まえて欲しい。自分は、世界をそのように見ていた。多額の現金が落ちていたら、それを自分のものにする社会。昔の日本では落とした物も返ってきたけど、今は違う。もうそんな社会じゃないんだ。ああ、明日のトライアスロンの練習に行くような気分になれないな、そもそもお金がかかるからトライアスロン自体を止めようかな、家族になんて話したらいいのか、本を買って勉強することもできないな、そもそも勉強したって給料上がらないじゃないか一体何のためにやっているんだろう…

「今のところ落とし物の記録はないですね。捜査ですか?犯罪の可能性というか、事件性みたいなのがないと…。防犯カメラを見てもらって、それらしき人が写ってたりとかね。あ、でも明日は銀行休みだから月曜日にならないと確認できないね…」

「そうですよね。私もそういうのに関係ある仕事しているので分かります。いちおう占有離脱物とかで…」なんて言えなかった。自分の見ている世界では、かなりの確率で拾った人を特定できないし、たとえ現金を拾った奴を捕まえても、もうそいつはその現金を使い込んでいて、返済する資力はないのだ。

警察官から慰められるような言葉をいくつか掛けられた後、もう一度だけ銀行から銀行までの道のりを歩いて封筒を探した。もちろんない。銀行の前に若い二人が楽しそうに話している。とても醜いことだが、この二人を疑ってしまった。今頃この二人は、予想外の収入に喜んでテンションが上がっているのかもしれない。なにも声を掛けられないでいるうちに、二人は自転車で別々の方向に去っていった。

もうダメだ。家族に正直に話して少しだけこれからの節約をお願いしよう。最後に、銀行の近くの交番に行ってみて、そこに届いてなければ諦めて帰ろう…

はたして。

その交番には、警察官と、60代くらいの男性一人とがいて、カウンターの上には見覚えのある封筒があった。

「あの…お金の入った封筒の落とし物はありませんでしたか…」

と聞くと、警察官と男性とがビックリして顔を見合わせた。そして、その男性の方が、

「ほら!やっぱり!年末だから困ってるだろうと思ったんだよ!よかったな!家族には話したのか?大変だったよな!年の瀬だからさ!よかった!よかった!」

って大きな声で、でも優しく、ニコニコしながら一方的にどんどん話してきた。そして、お礼をしたい、と言ったのをキッパリと断って、書類をさっさと書いて、「俺へのお礼は要らない。代わりに、年末はいろんなところで募金運動してるから。1000円でもいいから募金してあげて。」と言って、颯爽と帰っていってしまった。

僕は泣いてしまった。もちろんお金が見つかったから嬉しかった。思いがけず人の優しさに触れた喜びもあった。でも、涙の内訳は複雑だった。世界を見る自分の眼が曇っていることを痛烈に思い知らされたのだ。

「俺にお礼をするぐらいならそのお金を募金に使え」と言われたときに思い起こしたのは、昔の映画「ペイ・フォワード」だ。与えられたものにお返しをする代わりに、それを自分の誰かに与え、その輪が広がっていく。さらに、自分はこの頃、偶然にも近内悠太「世界は贈与でできている–資本主義の「すきま」を埋める倫理学」を読んでいた。そこに書いてあったことを自分なりに要約するとこうなる。

対価性を要求しない「贈与」は、宛先に届くことを待つ、届かないかもしれないけれども届くことに賭けてみるという倫理的な行動である。それは「祈り」に似ている。贈与は過去に既に差し出され、届いていることもあるが、受取人がそれを受け取るには、それが「贈与であった」ことに気付くための「知性」が求められる。語られることのない「アンサング・ヒーロー」たちがしてきた無数の贈与の上に、現在の世界が成り立っている。そのことに気付いた者は、「アンサング・ヒーロー」からの贈与を受け取ることができ、その返礼として、再び、この社会を見えないところで支える主体となることができる。贈与は与え合うものではなく、受け取り合うものである。

自分は、お金を落とさなければ、この社会が「アンサング・ヒーロー」たちの贈与によって支えられていることに気付くことができなかった。どれだけ、人の優しさ、暖かさ、熱意、誠実さ、愛情、正直さ、尊厳、祈りに目を向けようとしていただろうか。人の、社会のイヤなところを敢えて見つけ出して、嘆くだけの人間になっていたのではないか。あたかも自分はそのような醜さとは無縁であって、自分だけの力で生きていると傲慢にも勘違いしていたのではないか。情けなくてどうしようもない気持ちになった。

どうしようもない気持ちになったのだけれど、今からでも「贈与」することはできる。贈与を受け取ることもできる。1000円を募金し、これからは、自分たちがどれだけの「贈与」を受けてきたのか気付いていけるようになりたいし、それができるだけの知性を身に付け、人と社会を見る眼を養うために、学び続け、内省し続ける人でありたいと思った。

あと、そもそも現金を落としたりしないように、ちゃんと頭と身体のメンテナンスを怠らないようにしないと。忙しいのを言い訳にしているようじゃダメだぞ。

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「自分理念2.0」作成中…

今日は午前中に英検準1級のペーパーテストを受けて、午後はとある本を素材にジャーナリングタイム。先週、必要性を痛感した自分のビジョン、バリュー、ミッション、パーパスを探して自分との対話をしています。本当は1週間で仕上げたかったけど、もう少し時間がかかりそう。でも、自分の中で色々なことが繋がりつつあり、手応えを感じています。

あまり本に書き込みはしない派だけど、この本には書き込みたい気持ちを抑えることができなかった。筆者の経験とそれをベースにした伝えたい思いがひしひしと伝わってくるし、読者への問いかけも挑戦的で、思いついたことを直ちに書き込まないともったいない気がしてしまう。さて、この本のタイトル、著者はわかりますか?(微クイズ)

あと、英語をよく使うところに異動したので、密かに英検1級プロジェクトを準備していたのに、次回の英検の日が九十九里トライアスロンと丸かぶりという残念な結果に…。年に3回しか受験の機会がないのってどうなん?まあ、英語は試験より仕事で頑張れということなのかな。

初めて江古田に行ったんだけど、とてもいい街だった!

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低身長、睡眠時無呼吸症候群、アトピー性皮膚炎

子どもの頃からずっと低身長で、今も背が低い。小学校、中学校、高校でも「背の順」に並ばされて、いつでも自分は一番前だった(つまり、クラスで一番背が低いのが常であった。)。これは未成年の自分にとってかなりキツいコンプレックスだった。ちなみにこの「背の順」であるが、教師が「セノウジュン」と発音するので、小学生の自分は「背順」と勝手に認識しており、「背が低い」=「能力が低い」という認識を勝手に補強していた。小学生の時、男子の人数が奇数だったので、体育の授業で一番背の低かった自分は女子と相撲を取らさせられた。この出来事は今でもトラウマである。当時の世間では「三高」(高学歴、高収入、高身長)が理想といわれていたのである。そして、残念ながら当時の自分は、身長を高くする方法を知らなかった。親が昔、悩む自分に「背が高くなる本」のようなものを買ってきてくれたことがあったが、要は運動しろ、たくさんご飯を食べろ、よく寝ろ、ぶら下がり棒にぶら下がれといった内容のものであり、やる気にはなったが、具体的に何をすればどうなるのか見えず、いつの間にかその本は無くなっていた。

さて、自分には子どもが二人いるが、二人とも自分に輪をかけるレベルの低身長であった。長女が小学校3年生の時、医師から、今すぐ治療を始めた方が良い、と言われた。当時の自分は、子どもの頃の低身長のコンプレックスを忘れていたし、治療をして低身長を治す、という考えが理解できなかった。というか、受け入れられなかった。生まれ持った遺伝子を否定されるような気がしたからである。また、過去の自分にはその選択肢が与えられていなかったことへの嫉妬があったのかもしれない。ともかく、この件で、私と妻は何度も何度も話し合い、成長ホルモンを注射する方法による治療を行うことを決めた。二女についても間もなく治療を始めた。毎月車を運転して遠くにある病院に二人を連れて行き、毎晩妻が二人に注射を打った。そんな日々が続いて、長女は中学校卒業とともに治療を終えた。二女はまだ小学生なので、まだ治療中である。効果は劇的だった。平均的な成長曲線を大きく下回っていた二人とも、現在は平均に引けを取らなくなった。長女は小学生の頃、小さいことを理由に同級生にからかわれていた。本人はいじめと受け取っていた。思えば小さかった自分も、よくからかいの対象になっていた。

「低身長」という現実に対して、子どもの頃の自分には医療的な選択肢はなかった(あったのかもしれないが、自分はアクセスできず、アクセスできないまま現在に至った。)。子どもたちにはその選択肢があった。調べると、遺伝子組み換え技術による成長ホルモン製剤が発売されたのは1986年のことのようだ。その後、大量生産が可能になり、健康保険の適用基準なども整備されていった。医療の進歩により、子どもたちは生まれ持ってきたコンプレックスを克服する機会を得ることができた。

話は変わるが、自分は睡眠時無呼吸症候群(SAS)を患っている。社会人になった頃から、昼間に強烈な眠気に襲われることに気付いた。早い時間に寝ても、長時間寝ても、やはり翌日の昼は眠い。業務時間中に意識が飛んでしまう。先輩に睨みつけられたことも少なくない。このことについて、自分は長い間無知であった。SASという疾患が世の中に存在していることは知っていたが、自分はそうだと思っていなかったし、それが深刻な結果をもたらしうる疾患であることも知らなかった。30代の後半ぐらいになると、朝起きてもひどくぐったりしている日が多くなり、夜中に窒息しそうになって目が覚めることも増えた。妻から促されて検査を受けたら、割と重症だった。疾患として健康保険を適用してCPAP治療(鼻にマスクを付けて、寝ている間空気を送り込む治療法)を始めることができた。これも効果は劇的だった。日中の眠気はほとんど消失し、明らかに生産性が高まった。目が覚めた時にぐったりとしている日もほぼ無くなった。SASは脳卒中や心筋梗塞のリスクを高める。この時検査を受けて治療を始めていなかったら、現在このように健康でいられたかは分からない。自分がCPAP治療を受けている間にも、付けるマスクの形状が進化したり、機器がアップデートされるなど、技術が日に日に進化していっているのを実感してきた。効果も確実に上がっていった。これも医療の進化が自分に与えてくれたことだ。

そして最近、自分はアトピー性皮膚炎への治療として、「デュピクセント」の注射を始めることにした。アトピー性皮膚炎は、低身長と並び、子どもの頃の自分をひどく苦しめてきた、一言でいえばスティグマである。いつも皮膚が乾燥しがちでひどいかゆみを伴い、顔は赤らがかっている。不潔に思われるしバカにされる。低身長は大人になったらもう気にならなくなったが、アトピーは今でも苦痛である。冬は乾燥で、夏は発汗による刺激で、いずれにしても皮膚の状態は最悪になる。風呂に入ればすぐ保湿、ステロイド材の塗布、さらには飲み薬でかゆみを抑えようとするが、効かない。いや、これをしないともっとひどくなるので、効いているといえば効いているのだが、苦痛が消えることはない。全身が常にかゆいので、人前でじっとしていることが困難である。仕事をしていても集中力が削がれる。かゆみがひどくて眠れない日もある。あまりにかゆいと精神的に追い詰められ、発狂しそうになることもある。このようにアトピーは Quality of Life への影響が深刻であり、自分は自分の中にあるこの敵と生まれてからずっと戦い続けている。子どもの頃、母は見かねて色々な治療法を試してくれた。今思うとその中には怪しげな民間療法もあったように思う。

デュピクセントは、近年開発されたアトピー性皮膚炎のための新薬の一つで、アトピー性皮膚炎の病態の理解が高まったことにより開発され、2018年に承認された薬である。これを1か月に2本注射することで、皮膚の炎症を引き起こすサイトカインの働きを抑えて、かゆみや炎症を抑えてくれるという。昨日、このデュピクセントの最初の注射をしてきた。これから2週間に1回、注射を打ってどのように変化してくるのか、とても期待している。

アトピー性皮膚炎に悩まされている人は多い。自分よりも重症の人をたくさん見てきた。自分の子どもは二人ともアトピー性皮膚炎であり、このことがわかった時に自分は自分の遺伝子を呪った。自分が苦しむのは耐えられるとしても(耐えられないが)、子どもが自分の病気を持って生まれてきて苦しむのは耐え難い苦痛である。しかし、ここでも医療の進化が苦痛から自分を解放してくれるかもしれない。

自分は医療の進化に救われ続けてきて、子どもたちは自分以上にその恩恵を受けることができる可能性がある。そんなわけで、医療分野で革新を生み出し続ける人々に感謝し、心から尊敬している。新しい技術が正しく評価され、それを生み出す人が正しく評価されることを願うし、それを見極める眼を養っていきたいと思う。

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