コンテンツへスキップ →

自由の基盤となるか?「ベーシック・インカム」

とある県の小さな市に、2週間に1日だけ訪問して仕事をする、ということをしていた。そのときに目の当たりにしたのが、小さな子を抱えた若い親を襲う厳しい貧困だった。配偶者の実家との関係が悪かったり、配偶者からの暴力を受けたりしても、自分と子どもとの生活を守るためにまずは耐えなくてはならない。どうしても耐えきれなくなって離婚することになれば、片親で孤独な育児を余儀なくされる。元配偶者の収入も必ずしも高いわけではないから、養育費の支払をまともに受けることもできない。ワンオペで家事や育児を行わなければならず、生活保護を受けることは、社会から失格者の烙印を押されるようで気が引けてしまう。過疎化した地域の中で、仕事も多くあるわけではなく、きつい不本意な仕事でも続けざるをえない。

「人は生まれながらにして自由であり、自らの努力により、未来を切り拓いていける」と、何の不自由もなく子どもの頃を生きた自分が話したとしても、来月の生活がどうなるかすら分からない、という現実の前では、あまりにも空虚である。

図書館で偶然見つけたフィリップ・ヴァン・パリース=ヤニック・ヴァンデルポルト「ベーシック・インカム〜自由な社会と健全な経済のためのラディカルな提案〜」を読んだ。本書で定義されている無条件ベーシック・インカムは、①世帯の状況とは関係なく、完全に個人として受給資格が与えられる、②収入や資力の調査を必要としない普遍的(ユニバーサル)なものである、③対価として労働をしたり、就労の意思を証明したりする必要のない、義務を課さないという3つの意味において無条件で現金給付をする仕組みをいうようだ。

現物給付より現金給付が望ましいのは、「現金給付の受給者にはお金をどのように使うかの自由が与えらえ、ささやかな予算のなかでもとりうる多様な選択肢を個人の好みで選べるから」である。世帯単位ではなく個人単位で給付すべきなのは、世帯内部での権力の配分に影響し、また、給付を受けるために同居を回避するなどの事態を防ぐことができるからである。普遍的(収入や資力の調査を必要としない)であるべきなのは、複雑な手続きを廃すると共に、受給者に汚名を着せないためであり、失業の罠(給付金受給資格の喪失を恐れ、また就業の不確実さを恐れ、失業状態にとどまろうとする。貧困世帯が自力で稼いだ分だけ、給付金が必然的に返還されてしまう。)から解放するためである。義務を課すべきでないのは、雇用の罠(給付金を貰い続けたいなら職にとどまらざるを得ない労働者に対して、雇用者はより低い賃金を支払って済ませてしまう。)から解放するためである。このような無条件のベーシック・インカムが整備されることによって、単に失業者、貧困層を労働力として採用することができるだけではなく、どんな人でも、フルタイムの現在の職業にとらわれることなく、さらなるスキル等習得のための訓練、ボランティア活動、育児、余暇などのために、職業から一時的に離脱することが可能となるという。

理想的なように思える。子どもが学校に行きたくないと言ったときに自分がそれをなかなか受け入れられなかったのは、学校に行かずに大学に入らないことで、この能力主義の社会から取り残され、二度と這い上がることができなくなってしまうのではないかという恐怖があったと思う。全ての人にベーシック・インカムが保障されれば、良い会社に入るために受験勉強に励む小学生も、ブラック企業を辞められない会社員も、子どもが親に家にいて欲しいと思う時に出勤しなければならない親も、とにかく就職活動に有利になるために大学生活を設計しなくてはならない学生も、今のキャリアが時代遅れになっていることに勘づいていながらも住宅ローンがあるからキャリアチェンジができない人も、その時点で優先順位の最も高い活動を選択することができるようになりそうである。もちろん、冒頭で書いたような貧困に苦しむ若い親を救い出すことにもなるだろう。

しかし、この本を読んでも、この無条件ベーシック・インカムが実現することはないのではないかと思った。努力・労働への信仰は根深いし(成功者が1か月海外旅行に行くのは当然であるが、生活保護受給者が近所で遊んでいるのは許されないようだ。)、公金を富める者のために使うことへの抵抗感も強い(高等学校の就学支援金にすら所得制限があり、夫婦共働きであれば支援を受けられる可能性は低い。)。日本の場合は、この本が「裏口」と呼ぶ、別の形から「ベーシック・インカム的なもの」を導入し、それを徐々に発展させていくというのが現実的だと思う。児童手当の所得制限が撤廃されそうだが、これはその方向性に沿っていると思う。

「人生は無理ゲー」という人が見る現実に、自分はどうしたらいいか答えが出ていない。せめて自分の子どもたちには、自由に好きなことをさせてあげたいが、それは、自分が子どもたちを長く養い続けることが前提となってくる。本当にそれが可能なのかも分からない。分からないまま、とにかく身体を健康に保って、しっかりと仕事をして、大丈夫だよ、という顔をしながら今日を過ごしているのだ。

カテゴリー: 読書