「判断の目標は正確性であって、自己表現ではない」(下・p252)
日々、自分は判断をする仕事をしているわけだが、その判断に無意識のうちにエラーが介在する構造が生じているとしたら、そもそも自分の存在意義が問われることになるわけである。私たちは、たとえ今後AIがどれだけ進化することとなろうとも、自分たちが判断する領域が(変容することはあれ)無くなることはないと考えていると思われる(そのようなことを明言した人も見たことがあるし、声には出さなくともおそらくそれを疑っていない人がほとんどではないか。)。
カーネマンの「ファスト&スロー」は自分の意思決定がどのような回路でされているかを考える良い刺激となった。学びが多かったので、今度は続書といってよいと思われる「NOISE」を読むこととした。結果、自分へのインパクトは「ファスト&スロー」以上であった。職場での課題図書にすべきだとさえ思う。あらゆる判断者に必読の書といえる。
上巻では、刑事裁判の量刑、保険会社従業員による保険料及び保険金の査定、懲罰的損害賠償額の算定など、自分の仕事の領域に近い分野においていかに判断にノイズ(判断のばらつき。これにも種類があって、パターンノイズ〔機会ノイズを含む。〕とレベルノイズがある。)が生じているか、しかもその現実がいかに看過し難いものであるかを、あらゆる方向からこれでもかと見せつけられて、まあ一言でいうと凹んだ。どれもその通りである。よく「AIが判断した方がマシ」と言われて、そのような世界は遥か先のことであろうと感じていたものであるが、もはやそういう次元の話ではないレベルで自分の判断は歪んでいる(いた)可能性が高く、そう言われれば全く否定できないのであった。
しかしありがたいことに、この本は下巻ではいかに私たちの判断をより良くしていくか、その方途を示そうとしてくれている。まずは判断者として望ましい人材の在り方についてである。
同等の訓練や経験を積んだ同僚と比べ、明らかに抜きん出てよい判断をする人がいる。そうしたすぐれた判断者は、バイアスもノイズも少ないと考えられる。(中略)おそらく求めるべき人材は、自分の最初の考えに反するような情報も積極的に探し、そうした情報を冷静に分析し自分自身の見方と客観的に比較考量して、当初の判断を変えることを厭わない人、いやむしろ、進んで変えようとする人である。(下・p59)
そして、まずはバイアス対策として、「意思決定プロセス・オブザーバー」(ある意思決定の過程を観察し、その都度バイアスがかかっていないかを見抜く第三者)を置くことを提案する。その者が持つべき「チェックリスト」(下・付録B)は有用なツールであり、ひとまずは自分の心の中の意志決定プロセス・オブザーバーに持たせる文書として、スキャンして日々持ち歩けるようにした。
さらに、ノイズは時に(というよりかなりの割合で)重大な結果を招いているにも関わらず予測不能であり、指摘困難であることから、予防的に「判断ハイジーン(衛生管理)」という概念を持ち込み、その具体的実践例を紹介してくれる。
①科学捜査における情報管理(判断者に与える情報とタイミングを厳格に管理する段階的情報管理、分析官は各段階で自分の判断を記録に残す、可能であれば数日、数週間後にもう一度判断する)
②予測の選別(積極的に開かれた思考態度〔永遠のベータ版・自分の予測を絶えずアップデートし自己改善する態度〕の持主を選別する)と統合(独立した多様な判断を引き出し、それを統合する)
③診断ガイドライン(複雑な判断をあらかじめ細かく定義された判断しやすい要素に分解しておく)※精神科診断のノイズを減らすのは難しいが、それでもガイドラインの客観化の努力が進められている。
④組織での個人評価にはシステムノイズが大量に存在する。これを克服する方法の一つとして、評価尺度の明確化(行動基準評価尺度とケース尺度など)とこれを正しく使用するトレーニングが考えられる。しかし、そもそも人事評価を行う意味、必要性、目的について突き詰めて考え、大量のノイズを除去するためのコストを支払うことに見合っているのかを吟味することが肝要である。
⑤採用面接の構造化の例として、評価項目を分解する(媒介評価項目を決める)、評価を独立に行う(構造化行動面接)、総合判断は最後に行う(最後の判断のことは一度切り離して、まずは個別の評価を行う)という三つの原則を据える。
ノートが長くなってしまったが、最後に架空の事例を用いてノイズを除去するための意思決定の具体的アプローチを詳しく検討している。この事例を用いた説明が秀逸で、この本をここまで読んできていれば、重要な意思決定を行うに際して決めるべきこと、留意すべきことを段階に応じて確認できる。
我が業界でも、判断をいかに「客観化」するかということが公に熱く議論された時代があった。確かに先人たちが暗黙知の言語化を試みたことがあった。批判がありながらも、いろいろな「算定基準」を作ったことにより判断の予測可能性が高まった分野もある。現在は、持ち込まれる問題がより複雑化・先鋭化しているとの認識を踏まえ、集合知を活用すべきとの考えが主流であるように思う。しかし、この本を読了した今となっては、私たちは、情報を受け取り、評価し、判断することを業としているのに、情報の受け取り方については無防備であるし、評価・判断については直感的に過ぎるといわざるを得ない。「三人集まれば文殊の知恵」のように、みんなで考えればより判断が良くなるだろうとの姿勢のみでは、本書で指摘されたエラーが生じうる構造をほとんど克服できないと危惧される。
ともあれ、一人でそんな危惧をしても仕方ないので、差し当たりこれからの自分の判断に取り入れられるものは取り入れていきたい。まずは評価媒介項目のリストアップだろうか。他方で、この本の最終盤で議論された価値観の変容への対応の余地、人間の尊厳との関係については、自分の判断もさることながら、組織全体の判断に対する考え方との関係でも、さらに自分の中でテーマとして持っておきたい。判断は聖域であるとの信仰は根強い。何を見て、何を考え、どう動くべきなのか。重い課題を与えられた。