コンテンツへスキップ →

内なるリーダーシップ「すべては1人から始まる」

四月、自分がその下で働くことになったリーダーは、ありていに言うと「暴君」であった。私は、彼の下で徹底的に自己を抑圧され、なんら創造性を発揮させることなく日々を過ごした。その人は、組織の中ではその分野において最もキャリアの長いスペシャリストで、確かに、時に芸術的とも言えるほどの緻密で洗練された仕事をする。しかし、私は、彼から受けた仕打ちを忘れず、徹底的に憎んだ。今まで職業人として感じたことのないレベルの憎悪を抱いた。二度と許さない。彼が去った後、私は口憚ることなく周囲にその感情を撒き散らしていた。いつか自分のしてきたことの報いを必ず受けてもらう。心の底からそう思っていた。

夏になるとリーダーが変わった。新しいリーダーは、いわゆる「対話型」の人だ。自分は自由を得た。次から次へと浮かんでくる理想、アイデアを提案した。自分で責任を取ると決めて難しい仕事を引き受けた。自分が覚悟を決めて何かを前に進めたとき、明らかに周りの空気が変わった。それは組織の階層構造、指揮命令系統を超えた、コミットメント・覚悟が持つ引力を持っていた。

こうして自分は、リーダーシップは役職ではなく、責任を引き受けて物事を前に進めると決意し、行動に踏み出したときにその人を中心に発生すること、それはプロジェクトごとに異なること、そして、リーダーシップは組織内の階層のどこに位置していようが生じさせることができることを知った。

自分がこの半年の間に経験してきたリーダーシップをめぐる状況はざっくり言うと上記のとおりだ。そして、最近、トム・ニクソン「すべては1人から始まる」を読んだ。この本は「ソース理論」に関する本だ。「ソース理論」とは、自分の理解しているところによれば、あらゆる創造的な活動の源泉には、「ソース」と呼ばれるたった一人の人が存在する。ソースは、自分を曝け出してリスクを負い、具体的・継続的な行動(イニシアチブ)を立ち上げる。ソースの持つ価値観・ビジョンを実現するために必要な人・リソースが引き寄せられる場所が「クリエイティブ・フィールド」であり、具体的な成果を産み出していく。ソースは、必ずしも組織の頂点にいる人ではない。自ら責任をとって創造的な活動を生み出すと決め、動いた人のことであり、一見意外であるが、1人しかいない。ソースの価値観に共鳴し、そのクリエイティブ・フィールドに包含されるサブフィールドでソースに類似した役割を果たす人物をサブソースという。ソースもサブソースも継承することができるが、それは組織上の地位を継承するのとは全く異なる。

上手に概念が整理できていないが、何が言いたいかというと、夏以降の自分は、少なくとも「サブソース」であった。いくつか覚悟を決めて理想とするプロジェクトを自分の責任で果たすと決めた。それは一から自分が考えたものではないから、一番最初の「ソース」ではないが、大きなクリエイティブ・フィールドに包含される領域の中で責任を引き受け、サブフィールドを作り出したといえる。自分がサブソースになったのは自分の地位が原因ではない。自分がこのプロジェクトを引き受けるという覚悟であり、実際に行動に移したという事実が原因であった。そして、今後も自分はしばらくの間、ここでサブソースであり続けるという確信を持っている。役職は関係なく、自分がリーダーシップを発揮していく覚悟を持って、責任を引き受けていくと決めている。

さて、話を四月の「暴君」に戻す。彼のやり方は気に入らないが、彼は確かに自分の価値観を実現するために責任を引き受けて行動をしていた。彼も、やはり少なくともサブソースであった。私は彼の言葉を聞かないように右から左へと流していたが、彼が去る数日前だったか、深夜の部屋で私は告げられた。

「これからは君の時代だ」

全く理解できなかった。私の時代ではないはずだった。彼の後任者は決まっている。若造の自分の時代になるはずがないのだ。

「はあ。そうですか。」

数ヶ月が過ぎ、いまは彼の言葉を違った意味で受け止めることができる。君が責任を引き受け、行動を起こせば、組織の構造など全く関係なく、そこにリーダーシップが生まれる。彼は、一人で孤独に責任を引き受け、他人を恫喝することでビジョンを実現しようとしてきた。私が彼のやり方に反発し、自分なりの価値観を体現しようと企んでいることを知っていたのかもしれない。もしかしたら、サブソースとしての覚悟を私に継承しようとしたのかもしれない。

私は、彼のようなやり方はしない。しかし、責任を引き受けて行動を起こす。フィールドを作り人と資源を引き寄せていく。彼とは違ったやり方で、自分のビジョンと価値観を体現する存在となる。サブソースとして自分の在り様を問い続ける。傾聴し、対話し、伝え、決断する。それが自分をどこに連れて行ってくれるかは分からない。

期せずして短期間に二人のリーダーに付いたことで、私の組織を見る見方、リーダーシップの考え方は大きく変わった。当然ながら、私は、自分の人生のリーダーであり、すでに職場で実質的なリーダーになっている。

「暴君」から、何かを引き継いだのかもしれない。私は、憎悪の感情に自分を支配させることを止めた。私のサブフィールドに必要ない感情とは言わない。確かにそこにある感情だ。私は、好奇心と心理的安全性、失敗を恐れない姿勢、理想を追い求める姿勢、思いやる姿勢を大切にしたい。その価値観を共有できる仲間と共に、新しく生まれ変わっていきたいと、心の底から願っているのだ。

カテゴリー: 読書