横浜トライアスロンでは、スイムで顔をクラゲに刺されたのと、バイクで一周終えた時にGARMINをチラ見し、縁石に突っ込んで左腕をガードレールで擦りむいた。そして、レース翌日だったかにストレッチしていたら、ピキッといって肋骨周辺の筋肉を痛めてしまった。そんなわけで、レースが終わって、しばらくトレーニングができなくなってしまった。
それから、レース後に仕事に復帰したら、身体が疲れていたせいか、しょうもないミスを連発してしまった。また、ちょっとしたトラブルもいくつかあった。今日も、ボールペンをシャツに入れたまま洗濯してしまい、新しく買ったシャツにシミをたくさん作ってしまった。
こんな感じで、今週の自分は、けっこう精神的にユウウツだった。そうだったので、別の本を読んでいたのだけれど、方針転換して、チャディー・メン・タンの言わずと知れた「サーチ・インサイド・ユアセルフ」を棚の奥の方から引っ張り出してきた。この機会を利用してマインドフルネス瞑想を習得してしまおうと思ったのだ。
まずは意図を設定する。ストレスから自分を解放したい。ゆっくりと呼吸に注意を向ける。深呼吸する。身体の力が抜けていく。すぐに邪念が入り込んでくる。肩が上がり、体がこわばっていくのに気付く。肩をスッと下げてまた深呼吸をする。浮かんでくる自分の感情を遠くから俯瞰することができてくる。ここまでは平常運転、去年までも(例えば特定のお部屋に入る前の2分間を使うなどして)毎日行っていた。
改めて読み返してみると、本当に前回読んだのだろうかと思うような発見がたくさんある。以前読んだ時は、自分の心の平穏をもたらす方法のみを求めていたのだろうか。他者にマインドフルネスを向けるという感覚は全く自分の中になかった。「善良さ」を発見し、増やし、届けることができるという自信を育むという考えも、自分の中ではマインドフルネスとは結びついていなかった。
確かに、ストレスを持ち込んでくるあんな人やこんな人も、自分と全く同じで、体と心を持っていて、気持ちや情動、考えを持っていて、これまで、悲しみや落胆、怒ったり傷ついたりうろたえたりしただろう。身体的にも精神的にも、痛みや苦しみを味わってきただろう。痛みや苦しみから解放されたい、健康で人に愛され、充実した人間関係を持ちたい、幸せになりたいと願っているだろう。そうイメージすることができると、考え方も、見えるものも違ってくる。
善良さが滲み出ているような人は確かにいて、信頼できる。じゃあ自分がそうなれるのかというと、まだ分からない。考えてみたこともなかったからだ。でも、できるような気もする。信頼の相互作用が生み出す心地よさを、自分は何度も経験しているからだ。そして、その心地よさを知っているからこそ、今までの自分を変えて、信頼される人になりたいと思った。自分と人とを信頼できるように、その基本動作であるところの自己認識、マインドフルネスを日常に組み入れていきたい。
自己認識とは……情動の嵐のただなかにあってさえ、自己省察を維持できる、偏りのないモードのことだ。
ダニエル・ゴールマン
マインドフルネスとは、特別な形で注意を払うことを意味する。それは、意図的に、今の瞬間に、評価や判断とは無縁に、注意を払うことだ。
ジョン・ガバットジン
明日からも情動の嵐に晒されるだろう。不安はあるが、本を読み終えて自信が湧いた。自分は、情動の嵐とともに在り、何回か気は散るだろうが、最終的にはゆっくりと情動を手放す。そして、またひとり、大切な人と心を通わせることができるはずだ。
はやく身体が痛いの治って欲しいなー。