毎日「book cafe」でたくさんの気づきを与えてくれる荒木博行さんの「独学の地図」が発売されたので、さっそく読んでみた。
「それっぽい一般論」は、私たちの本来の学びに蓋をしてしまうのです。私たちが本気で学ぼうとするのであれば、すぐに忘れ去られてしまうような「それっぽい一般論」をそのまま放置してはなりません。そういうきれいな言葉を排除して、知的な負荷をかけながら、裏側に隠れている「経験の前後の差分」を削り出していかなくてはならないのです。(63p)
学びとは「差分」である。そしてそれは、見てくれの良い成果ではなく、その学びの前後の経験に照らして「削り出される2ミリ」であり、キャッチーなもの、聞こえの良いものではなく、自分だけの経験であるから無骨な形になる。差分を削り出すには、アウトプットをしてみて、そのアウトプットに「それっぽい一般論」がないかをチェックし、これを自分だけの具体論に変換する。それは、今この瞬間の自分しか語ることのできない具体論である。このようにして学びを発見することが成長である。
自分は、この1年ほどでたくさんの刺激を受け、考え、自分の領域・コンフォートゾーンから出ようと思った。その試みの一つとしてブログを始め、とにかく1週間に1回は更新することにした。ただ、ブログに書いてきたことは「それっぽい一般論」しか書いていなかったと思う。いや、その時に感じたことはそのまま書いたし、特に本のレビューブログを目指しているわけでもないので無難な表現とかに落ち着かせようと思ったことはなかった。ただ、刺激を受けて自分に起こっていることを表現するにあたって、その解像度をより高めていく、という発想がなかった。例えば「冒険の書」を読んだ時には身体が熱くなったが、あの時自分に一体何が起こっていたのか。自分はコンフォートゾーンから飛び出したいと考えていた。そして、身体が熱くなったのは、私はそれを実現することができる、今この瞬間から、自分の心の枷は取り払うことができると確信を持てたからであり、そうして自由になった心で毎日、仕事や、トライアスロンの練習や、読書や、遊びを楽しんでいる姿を二人の子に見て欲しい、二人とも自由に生きていいというメッセージを自分の生き方を通じて伝えたい、という強い気持ちが溢れ出てきたからだと思う。
まだ不十分かもしれないが、自分だけの学びを削り出すという頭の働かせ方をしてみた。いま、他にもいくつかの本を読んでいて、気づいたことをメモしたりしているけれども、ここから更に「削り出していく」頭の使い方をしたいと思えた。また、学びは本とか授業とかからのみされるものではなく、明日オフィスで作ることを想定している書類の作成作業からも、2ミリの学びを削り出してやろうと思えた。
学びをビジュアライズする「ラーニングパレット」の考え方は、自分が感じている閉塞感の正体を探り、これを打開する手がかりになりそうである。今日現在のラーニングパレットを仮に作るのであれば、「基本カラー」は過去の事実の判断者であり、その対局にあるのは未来、当事者ということになる。そして、サッと中身について思いつくところを入れてみると、「判断者/過去」には「規範、証拠、評価」、「当事者/過去」には「成果、伝統」、「判断者/未来」には「兆候、調整、意思決定」、「当事者/未来」には「理想、意思、実行」などが仮に入った。粗々ではあるが、「未来について『自分事』として考え、実行する」ことへの憧れが自分の中にあるように思えた。もちろん、仕事の内容が少し変わる4月からは、「判断者/過去」の領域の学びの解像度を高めていくこと(深化型学習)がしばらく必要となり、忙殺されるかもしれない。ラーニングパレットのアップデートは、また少し走ってから行うこととしたい。
この本は、なんとなく「学び」について感じていた違和感(読書それ自体が目的化していないか、「学び」そのものが消費の対象になっているのではないか)に答えてくれた。「学びを削り出す」という考え方がとても刺さった。